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冷静に考えれば、私が「アテナ」とは世界の人々は知らないのだから、仮に世界中にチョコレートを配ったとしても。「グラード財団総帥、謎の奇行!」とか、「金持ちの道楽」という風に叩かれるのが目に見えてるわ。

聖域に配るにしたって、私から突然チョコレートを受け取って困りはてる顔の面々が浮かぶし。

世界平和と聖域の皆さんへの感謝の気持ちに変わりはありませんし、日本でいつもお世話になっている星矢達10人にあげましょう。



かくして、沙織は2月14日に(一輝は不在で捕まらず)9人にバレンタインチョコを贈ったのである。

ただ一人、星矢には特別な思いを込めて。

それぞれ喜びを隠さずお礼を言う皆に、沙織も顔が綻んできた。

最後に。

「星矢。いつもありがとう。」

特別な笑顔、という訳ではないけれど、やはり星矢には皆とは違う気持ちがあるため自然と笑顔も皆とは違ってくる。

沙織の気持ちは周知のことであるため、氷河、瞬、紫龍などは星矢と沙織の動向を見守っていた。

「サンキュっ、沙織さん。」

星矢もどこか照れているように見える。

「じゃあ、俺帰るな。」

「えっ。」

星矢の突然の"帰る"に、沙織はもちろん、見守っていた少年8人も驚いた。

「おい、星矢!」

那智が星矢を呼ぶが、星矢は振り返らずそのまま部屋を出て行った。

「お嬢様・・・。」

気遣わしげに邪武が沙織を見ると、星矢が出て行った扉をじっと見つめていた。

その顔が悲しそうで思わず瞬が声をかけた。

「沙織さん、気にしないで。きっと照れてるんだよ。」

「・・・あ、瞬。大丈夫、ありがとう。」

沙織は自分が落ち込んでいると瞬たちに悟られまいと、慌てて瞬に笑い返した。

「みんなもチョコレート食べてくださいね。」

にこりと微笑むと沙織も部屋を後にした。








部屋に残された面々は気まずさを感じていた。

「今の星矢変だったね。」

「沙織さんもがっかりしていたしな。」

「いつもの星矢ならこの場で箱を開けて食べてると思うが。」

「僕ちょっと星矢に聞いてくる。このままじゃ沙織さんも落ち込んだままだよ。」

「俺も行こう。」

瞬と氷河も星矢の後を追うため部屋を出て行った。










バレンタインにチョコを渡したからって星矢に何かを期待していた訳ではないけど。


(ただ、もう少し星矢と話がしたかったかな。)


だから今みたいに、すぐにいなくなってしまうと・・・


(寂しい。もっと傍にいたいのに。)


皆と分かれ、一人で仕事部屋で物思いに耽っていた沙織のもとに辰巳が入って来た。

「お嬢様。御寛ぎの中失礼します。」

辰巳から財団関連の報告に耳を傾けていたが、ある事を思い出した。

報告を終え、沙織の前から退出しようとしに辰巳を呼び止めた。

「辰巳。」

「はっ。」

「これを。私からの感謝の気持ちです。」

沙織の手にある綺麗にラッピングされた包みを見て、辰巳は目が点になった。

今日は2月14日。それを考えると中身はチョコレート以外考えられない。

「こ、これはチョコレートですかっ!?これを私にっ。」

「そうですよ。ちゃんと食べてね、辰巳。」

幼い頃から仕えていた沙織から、まさかバレンタインチョコを貰えると思っていなかった辰巳は大いに喜んでいた。

全身を使って喜んでいる辰巳を見て、こんなに喜ばれるとチョコをあげた沙織の方も嬉しくなってくる。

「辰巳ったら、大袈裟ね。」

くすくす笑っていた沙織だったが、喜ぶ辰巳にさっきの星矢の態度がかぶさり、沙織から笑みがさぁっと消えた。

逆に辰巳に苛立ちを感じ始めた。

「辰巳。30過ぎの男の方がその様にはしゃいで、恥ずかしいですよ。」

打って変わった主人からの冷たい言葉に辰巳は凍りついた。

(・・・怒ってらっしゃる!?)

「お、お嬢様。私は何か気に障ることでも・・・。」

恐る恐る沙織に伺うが、その返事は素っ気ないものだった。

「別に。」

(やはり怒ってるっっ〜〜〜!!)

「は、では私はこれで失礼いたします。お嬢様。」

深々と頭を下げながら、頷く沙織を確認すると辰巳は静かに部屋を出て行った。

再び一人になった沙織は小さく溜め息をついた。



私が星矢を好きなこと、星矢が知ったらどう思うかしら。



チョコレートを受け取った時の星矢の態度からだと、きっと私の「ありがとう」の言葉通り、感謝以上の気持ちがあるなんて考えてないでしょうね。

昔、私がしたことを思えば嫌われても仕方がないのに。


事実、6年振りに会ったときは私やおじい様に対して憎まれ口を隠さず言っていたもの。

でも、今はそんな素振りを見せたことがない。

やはり私たちの「女神」と「聖闘士」の立場が今の関係を作っている?



どうしてもその考えが離れない沙織は目頭が熱くなってくるのを感じた。


(・・・ばか・・。)










「いたいたっ。星矢、ちょっと待って。」

星矢を追いかけてきた瞬と氷河は城戸邸の正門を出ようとしていた星矢を捕まえ、そのまま正門脇に移動した。

「何だよ、おまえら。」

怪訝な顔で二人を見る。

最初に口を開いたのは瞬だった。

「何だじゃないよ、星矢。さっきの沙織さんに対する態度はまずいって。」

星矢の顔が強張る。

「沙織さん、悲しそうな顔をして黙ってしまったんだぞ。」

氷河が続ける。

「えっ。」

今度は驚いたような顔になる。

「もう、いつもは余計なことばかり言うのに今日はどうしたの?」

「チョコレートが迷惑だった、なんて事ないよな。」

「氷河!そんな事あるわけないだろっ!」

「じゃあ何で?」

星矢は言いにくそうに下を向いていたが、やがて小さく何かを言った。

「・・・・・見れなかったんだよ。」

「え?」

「何?」

「沙織さんの笑顔が可愛くて見てられなかったんだよっ!!」

一大決心の告白をしたみたいに、星矢は顔を真っ赤にしていた。

星矢の告白を聞かされた瞬と氷河は妙に納得し、かえって冷静だった。

「ああ、そういう訳ね。」

「何だ。」

「何だって!おまえらなっ!」

「そういう事だったら、早い内に沙織さんの誤解を解いておいた方がいいよ、星矢。」

「誤解?」

「さっき言っただろう。悲しそうな顔をしていたと。」

「絶対、チョコレートあげた事が迷惑、とか考えたんじゃない。」

「あの様子なら有り得るな。沙織さん根が真面目で色々考えそうだし。」

「うん。最終的には、女神である自分がバレンタインに興じていいんだろうかとか自己嫌悪に陥ってたり。」

あまりの突飛な瞬に星矢が食ってかかった。

「お、おい瞬っ。どうしてそうなるんだ!」

「星矢が素っ気ない態度だったからだろう。」

「俺の所為?!」

「おまえしかいないだろう。」

「今分かったの・・・;;」

瞬の少々呆れ気味の声には気付かず、星矢は正門とは反対の城戸邸に走り出していた。








溢れてきそうな涙を拭いていると突然良く知った声が聞こえた。

「沙織さん、いるだろっ。開けるよ!」

(星矢っ?!!)

沙織の涙は驚いた拍子に目の奥に引っ込んでしまった。

星矢が部屋の中に入ってきたが、顔が固まっているためか沙織には怒っている様に見えた。

(星矢、怒ってるの?)

星矢から視線を外す事が出来ず、近づいて来る星矢を見つめていたが、星矢の方も沙織を見据えたままだ。

「あの・・・星矢?」

「沙織さんっ、ごめんっ!!」

「え。」

「俺、別にチョコを貰ったのが迷惑だなんて思ってないからな。むしろ嬉しかったよ。」

「星矢・・。」

「これだけ言いたくてさ。沙織さん、何だか悲しそうな顔してたって聞いたから。」

「いやだ、誰がそんな事を。」

「それと!」

「はいっ。」

「沙織さんの事は勿論"アテナ"と思ってるけど、アテナじゃなく"沙織さん"とも思ってるぜ。」

今度こそ沙織は驚いた。

(私の考えていた事が分かってしまったの・・?!)

大きく見開いて星矢を見るが、その顔はほんのり赤くなっている。

「・・ありがとう。」

「チョコ、ありがとうな。」

ほんのり赤くなっている沙織の顔に思わず見惚れてしまう星矢だった。

急に気恥ずかしくなった星矢は目を逸らすと努めて明るく言った。

「だから、沙織さんも世間で盛り上がるイベントに参加してもいいと思うな。やっぱり女の子なんだし、沙織さんも楽しみたいだろ。」

「・・・・。・・ええ、そうね。」

(今の星矢の言い方は、私が考えていた事とはニュアンスが違うような気がするけど。)

星矢が元気のなかった私の事を誰かから聞いて励ましてくれているのは分かったけど。

心の中で首を傾げた沙織は、自分が落ち込んだ理由と星矢が考えた私の落ち込んでいる理由にズレを感じた。

(つまり、星矢は、私が普通の女の子のようにイベントに参加してもいい、て言ってくれてるのね。)

自分の気持ちが伝わってしまったわけではない事が分かり、拍子抜けしたような安心したような気持ちになり、力が抜けていった。



少し残念だけど、星矢らしい。

「ふふ。初めての事だったから、私にとってはすごい冒険だったのよ。」

「あ、やっぱり。それなら来年もよろしくな。」

「星矢。来年の話より、もっと前にあるでしょう。」

「へ?」

「ホワイトデーですよ。私に女の子の楽しさを味合わせてくださいね。」

「・・・あ。」

ホワイトデー、そんなものがあった!と、そんな言葉が星矢の顔にありありと浮かんだ。 失敗したかも、と思う星矢だったが、ホワイトデーを楽しみに笑っている沙織を見ていると、ま、いいかと思えてくる。

笑っている沙織さんが見れるなら。


沙織も。

自分を「アテナ」としてでなく「沙織」としても考えてくれていた事が分かって嬉しく、それだけで充分と思う沙織だった。